下村湖人  『論語物語』 | 読書ジャンキーの本棚

下村湖人  『論語物語』

下村 湖人
論語物語

『論語』は、二千数百年前、古代中国に生きた人、孔子が語ったと伝えられる言葉をまとめた箴言集のようなものである。

門弟たちの問いに対して、孔子が「子いわく~」という形で答える問答形式になっている。

拝金主義の横行する現代にあっては、人の生きる道とは何かを説いた『論語』などは、アナクロニズムの象徴のようなものに映るかもしれない。

しかしながら、功利主義一辺倒に傾きつつある現在こそ、相手を思いやる精神と実行を説いた孔子の訓えを見直してみる必要があるのかもしれない。

が、さすがに『論語』そのものを紐解くのは億劫なので、代わりにこの本を読んでみた。

これは『論語』に精通した著者が、現代人の視点と感覚で『論語』を捉え直し、孔子と門弟たちの成長物語として再構築し、蘇らせたものである。


全28話の物語は、どれもが独立した作品になっているが、同時に、全体として連続した物語として読むこともできる。


少々長いが、本書の序文に記された著者の文章を引用したい。


――『論語』は「天の書」であるとともに「地の書」である。孔子は一生こつこつと地上を歩きながら、天の言葉を語るようになった人である。天の言葉は語ったが、彼には神秘もなければ、奇蹟もなかった。いわば、地の声をもって天の言葉を語った人である。

彼の門人たちも、彼にならって天の言葉を語ろうとした。しかし彼らの多くは結局、地の言葉しか語ることができなかった。

われわれは、孔子の天の言葉によって教えられるとともに、彼らの地の言葉によって反省させられるところが非常に多い。

こうした『論語』のなかの言葉を、読過の際の感激にまかせて、それぞれに小さな物語に仕立ててみたいというのが本書の意図である。

この物語において、孔子の門人たちは二千数百年前の中国人としてよりも、われわれの周囲にざらに見いだしうるふつうの人間として描かれている。

『論語』が歴史でなくて、心の書であり、人類の胸に、時所を超越して生かさるべきものであるならば、われわれが、それを現代人の意識をもって読み、現代人の心理をもって解剖し、そしてわれわれ自身の姿をそのその中に見いだそうと努めることは、必ずしも『論語』そのものに対する冒涜ではなかろうと信ずる。


てなわけで、どれも短いながら、滋味のある物語ばかりだ。そして、折に触れて、何度でも繰り返し読んでみたくもなる。得がたい一冊である。



切れ味: 良


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