読書ジャンキーの本棚 -6ページ目

黒野 耐 『参謀本部と陸軍大学校』

黒野 耐
参謀本部と陸軍大学校


会社、労働組合、宗教団体など、ある目的のもとに作られた組織というのは、その成長期には、組織の構成員たちのモチベーションも高く、システムが未整備である分、かえって煩わしい規律や形式的な慣行に縛られずに、物事に対して、臨機応変に対応できることが多い。


しかし、成長期を過ぎて、成熟期、ないしは衰退期に入ると、モチベーションやモラルは低下し、前例主義、複雑な命令系統、陰湿な派閥争いが横行するなどして、組織は動脈硬化に陥る傾向にあるようだ。

そのまま放っておけば、組織自体のご臨終を迎えることも。


つまり、組織も、全ての生物と同じように、誕生し、成長し、やがては死に至るわけであるが、本書では、それを、旧日本軍の参謀本部、ならびに、その養成機関であった陸軍大学校を俎上に載せて、分析を試みている。


著者は云う。


――組織と人材養成の問題は、軍隊だけではなく、一般社会の組織体においても、永遠のテーマであると考えられる。

軍隊と一般社会では、現われる形や事象は異なるが、組織が機能不全に陥り、優れた指導者の養成に失敗する本質的要因は普遍である。

こうした問題認識から、参謀本部を中心とした統帥組織と、その人材を供給してきた陸大の教育問題を中心に、主に陸軍70有余年の歴史をたどることにより、失敗の本質を明らかにするのが、本書の目的である――。


ということで、組織の設立と運営、人材の育成に興味をもたれる方には、必見の力作であります。



切れ味: 良


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野口悠紀雄 『「超」アメリカ整理日誌』

野口 悠紀雄

「超」アメリカ整理日誌


この本は、去年の4月から今年の3月にかけて、スタンフォード大学の客員教授として赴任していた著者が、その米国滞在の期間、週刊ダイヤモンドに連載していたエッセイをまためたものである。


アメリカの諸事情(交通、医療、買物、不動産、教育etc)を、日本人の視点でとらえ、かつ日本と比較することで、浮かび上がる両国の問題点を考察している。


全体の構成としては、二部構成に分かれている。

第一部が、「滞在者として見たアメリカ」

第二部が、「アメリカから日本を見る」


特に興味を惹いたのは、「将来の国力を暗示する留学生数の逆転」と題するエッセイである。

日韓中の、スタンフォード大学院への留学生数の推移を示した折れ線グラフが掲載されているのだが、80年代後半の頃には、ほぼ並んでいたのに、90年代以降、中国と韓国が、右肩上がりに急カーブを描いて上昇しているのに対して、日本は、じりじりと下降線を辿っている。

このグラフから、著者は、次のような悲観的な予測を述べている。


これを眺めていると、このトレンドが、将来の国力のトレンドを示しているような気がしてならないのである。

なぜなら、教育面に表れた変化は、その後、10~20年程度の時間遅れをもって、その国の経済的パフォーマンスを決めてゆくからだ。

もしこの考えが正しいとすれば、次のようなことになるだろう。

中国はどんどん伸びる。

韓国は、かつて日本より遅れていたが、いまや日本をだいぶ抜いた。中国を追ってゆくのは、日本ではなく勧告だ。日本は底なしに落ち込んでゆき、もう追いつかない・・・・。


さて、この予測は的中するでしょうか。

答えを出すには、かなりの時間軸で見ていくことが必要のようです。


切れ味: 可


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うらぶれた温泉旅館、「奥湯元あじさいホテル」は、通称「ブリズンホテル」と呼ばれる、いわくつきのホテル。


前のオーナーは、悪徳の金貸しに騙されて、旅館も含めた全財産を失い、絶望して、旅館の一室で、一家心中。

現在のオーナーは、金貸しに渡っていた旅館を巻き上げたヤクザの親分。

支配人は、長年勤めた名門ホテルをお払い箱にされた「超」がつく愚直なホテルマン。

番頭以下の従業員は、ヤクザか、出稼ぎのフィリピン人。
おまけに、宿泊客の大半は、極道たちの慰安旅行か、務めを終えて出所したばかりのヒットマンといった面々ばかり。


まともでないホテルに、まともでない従業員がいて、まともでない客たちばかりが来る。

この小説は、そんな一癖も二癖もある個性派揃いの登場人物たちが織り成す珍騒動の顛末紀である。


浅田作品では、『きんぴか』と同様、コミカルな笑いをベースにした滑稽味のある作品に仕上がっている。

こういうユーモア溢れる小説こそが、浅田次郎の本来の持ち味のように思うのだが。

今では、すっかり大家のようになっちゃったからな~。



切れ味: 良


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三枝 匡  『戦略プロフェッショナル』

三枝 匡
戦略プロフェッショナル―シェア逆転の企業変革ドラマ

元の単行本の初版が出版されてから十四年経っているが、文庫本も含めて増刷が重ねられている。

ライフサイクルの短いビジネス書としては、稀に見る息の長さといえる。


著者は、経営コンサルティングや、企業再生の請負人として、第一線で活躍してきた経験豊富なプロの経営者である。

たしか、現在は、ミスミグループのCEOを務めていると思う。


本書は、米国企業に較べて、戦略性が欠けている日本企業のマネジメント層に、戦略思考の重要性を認識させ、戦略策定に有効な様々なツールを知らしめた点や、抽象的な経営本とは一線を画したドラマ仕立てのケーススタディという工夫を凝らしている点など、はるか昔のビジネス書として片付けてしまうには、惜しすぎる。


ドラマ仕立てにした点について、著者は、次のように書いている。


――このケース(本書で取り上げている事例)は、アメリカのビジネススクールの教材になっているケースとか、学者の書いた経営戦略書のケースとは、だいぶ趣を異にしている。

私は、常々、これまでのケースには不満を持っていた。

どれも、かなりマクロ的に書いてあるために、経営者個人の苦悩が浮かび上がってこないか、もしくは教材として必要最低限のことしか書いてないために無味乾燥か、どちらかの場合がほとんどだ。

単行本やマスコミに載る企業モノの読み物は、後付けで、経営者を褒めそやすものが多く、途中のリスクを理論的に解析したものは少ない。

そんなことが動機で、このケースが書かれたのである。


実際にあったケースに脚色を加えて書かれたストーリーは、臨場感があるし、説得力も十分だ。

三枝と同様、ビジネス戦略ストーリーでヒットした『なぜ会社は変われないのか』の著者、柴田昌治が、会社組織の風土・文化に風穴をあけるためのソフト改革を重視したのに対し、三枝の場合は、まず戦略ありきのハード改革によって、組織全体に揺さぶりをかけようとしている。

最終的な目的、ないしは目標は同じであっても、そこに到達するための手段、方法は異なっている点で、両者の著書を比較しながら読んでみるのも面白い。



切れ味: 良


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黒野 耐 『「戦争学」概論』

黒野 耐
「戦争学」概論

日本人の脳裏には、戦前、旧軍部の暴走が、戦争の惨禍を招いたという苦い経験が刷り込まれている。

だから、軍隊に対して、極度のアレルギー反応を示す人が多いのではないだろうか。

が、著者によれば、旧軍部による暴走は、世界史でも極めて特殊な例であるという。

そして、ほとんどの場合、愚かな戦争が起きるのは、愚昧な政治家によるものであると強調している。

まさに、『戦争論』の著者、クラウゼヴィッツが云うところの、「戦争とは、政治におけるとは異なる手段をもってする政治の継続に他ならない」というわけだ。


逆説的であるが、将来にわたって、これまで同様、平和を享受したいのであれば、そして、戦争になる危険性を未然に抑止したいのであれば、戦争や軍事の性質について知ることが肝要なのかもしれない。

欧米の大学には、戦争学や軍事学の講座があるので、国防に対する理解が、かなり一般に浸透しているらしい。

まあ、著者が、戦争や軍事について、もっと知るべきであると強調するのは、元自衛官出身というキャリアを考えれば、当たり前ともいえるが。


本書は、その戦争学、軍事学の入門書になっております。

国民の一人一人が、戦争について知ることが、本当に戦争の抑止効果をもたらすのかどうかは、何ともいえないが、国家がとるべき外交や安全保障についての基本的理解や、昨今の不穏な世界情勢の背景にあるものを知るうえで、読んで損はないと思う。


著者は、本書全体を通して、近現代の戦争を、三つの視点から俯瞰している。

本書から文章を引用すると――


第一の視点としては、欧米では平戦両時を通して大戦略の基礎として普遍的な考え方となっている地政学の視座から見ていきたい。地政学によって、地球という舞台の上で、同時進行する国際関係を、地理的概念を基礎に全体的に掴むことが大切である。


第二の視点として、「政治」と戦争、戦争における「政治」と「軍事」の関係を取り上げる。戦争を政戦略的レベルの問題に焦点をあてて見ていくことで、シビリアン・コントロールとは、「政治」が「軍事」に優先することであり、政治指導者が、その時々の戦争を正しく理解し、正しい判断を下すことが、基本であることを理解できるようになる。


第三の視点としては、これまでの時代を画した戦争の中心的思想を見出し、時代の変化とともにそうした思想が、どう変化していったかを見ていく。絶対王制時代の代表的な戦争として、プロシャのフリードリヒ大王の制限戦争からはじめ、その戦争を大きく変えたナポレオン戦争、その教訓から『戦争論』を書き上げたクラウゼヴィッツの思想、その思想にもとづいて戦われた第一次世界大戦、この戦争の悲観から生まれたリデルハートの思想、……大国間の戦争を抑止した核戦略と、その間隙を縫って戦われたゲリラ戦と局地制限戦争、……9.11テロ事件によってはじまった新しいテロ戦争、その延長線上に生起したアフガニスタン戦争とイラク戦争を考える。


というこで、全体的にバランスよくまとまっており、新書ということもあって、入門書としては、最適かもしれません。



切れ味: 可


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柴田昌治 『なんとか会社を変えてやろう』

柴田 昌治
日経ビジネス人文庫 なんとか会社を変えてやろう 実践ガイド・企業風土改革の進め方

一時期、ビジネス戦略ストーリーの本がブームになったことがある。

著者は、その代表の一人である。

そして、この本は、前著『なぜ会社は変われないのか』で、描かれたビジネスストーリーから、物語的要素を省いた実用書仕立てになっている。

つまり、実践ガイド篇であり、前著を読んだ読者を前提にしている。

とはいっても、別に、この本から読み始めて、興味を惹かれれば、『なぜ会社は変われないのか』に進んでも、一向にさしつかえないと思うが。


著者の説くところでは、企業の改革には、「ハードの改革」と「ソフトの改革」の二つがある。

「ハードの改革」とは、戦略、事業計画、精度改革、業務プロセスの見直し、成果主義など、組織の設計、運営面に関するものを指す。

これに対して、「ソフトの改革」とは、表面化しにくい企業の風土、体質、文化などを変えていくことである。

このソフトの部分は、組織に属している一人一人の社員に染み込んでいるものだけに、容易に変わるものでない。


だから、いくらハード面での改革を推進しても、ソフトの改革が成されていなければ、一向に効果が上がらないばかりか、ハードに偏重すると、拒絶反応を起こして、かえって、組織をおかしくしてしまうことにもなりかねない。

実際、名高い外資系の戦略コンサルティング会社による、トップダウンのハード改革で、組織ががたがたになってしまったた大企業の例が、結構あったりする。


つまり、まずソフトの改革を推し進めて、その会社固有の風土、土壌を適度にならしたうえで、「ハードの改革」を導入したほうが、スムーズに企業改革が進む確率が高いというわけだ。


では、その「ソフトの改革」を、具体的には、どうやって進めるのか?

著者は、「気楽にまじめな話をする場」としての、組織横断的なオフサイトミーティングを提唱している。

その場で、まずは、相手の話をとことん聞いて、皆が持っている不満のガス抜きをすることが大切というわけだ。そこから、始めて、「では、どうするか?」というように、建設的な話へと進んでいく。


本書には、なるほどと思わせる示唆も多くあって、共感できる部分も多い。

ただ、実際に、士気が低く、内向き志向の強い会社で、この方法を取り入れたとして、どれだけの効果があるのか?

そうした問題企業の場合、社員個々の考え方が、本に書かれているように、前向きに変わっていくのか、いささかの疑問符がつく。第一、そのオフサイトミーティングを主体的に引っ張っていこうという人材自体が、そうした会社では、見当たらない(つまり、とっくに会社を見限って辞めてしまっており、残った社員はクズばかりだったりする)。


切れ味: 可


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重松 清
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平凡な日常生活に起きた、ちょっとしたさざ波に揺れる家族の風景を描いた短編集。



どの作品も、四十前後のオヤジたちが主役である。

たしか、孔子だったか、「男、四十にして惑わず」と述べていたように思うが、実際には、若くもなく、かといって、枯れてもいない、なんとも中途半端な時期にあたるのが、この年頃だ。

また、妻子持ちであれば、息子や娘は、ちょうど思春期の頃で、何かと家族に波風も立ちやすい時期でもある。

「四十にして惑わず」とばかりに悠然と構えるのとは、程遠いのが実情ではないだろうか。


で、この作品集は、どれも、これといって、大きな事件が起こるわけではない。

家族の日常に、ちょっとした厄介な出来事がもちあがるだけである。

端から見れば、取るに足らない事かもしれない。

でも、当事者である家族にとっては、放置しておけば、家族の間に亀裂が生じかねない問題なのだ。

ズバッと解決するには、繊細すぎる微妙な問題ばかりだから、まことに厄介極まる。

そして、各作品に登場する、どの中年オヤジたちも、出来した事態にうろたえ、翻弄される。

ここには、毅然たる姿をした理想の父親像は、一人として出てこない。

どれも不甲斐なくて、不器用なオヤジたちばかりだ。

だからこそ、親近感が沸くのを禁じえない。

登場人物と一緒になって、憤ったり、自分の無力感にがっかりしたり、ささやかな希望光を見出したり。



読後感は、ちょっぴり元気になったような――そんな気がする。

本のタイトルになっているように、ちょっと効き目のある読むクスリといったところか。


どの作品も良質だと思うが、私的には、クラスで除け者にされ、孤立している娘の痛々しい心情と、その事実を知った親の哀しみを描いた「セッちゃん」が、とりわけ秀逸でありました。


切れ味: 可

阿部和義 『トヨタモデル』

阿部 和義
トヨタモデル

トヨタ自動車の歴史、現在の状況、そして今後の展開について、経済ジャーナリストが、多くの資料と取材を駆使して広く浅くまとめた本。

絶好調のトヨタ自動車について知りたい初心者が読むのに適しているかも。


著者の見解によれば、トヨタの現在の隆盛には、二つの秘訣があるという。
「危機感」と「質素・倹約」である。


全社員が、いつ、今の優位が覆されるか分からないという「危機感」を、常に持ち続けることで、それを絶えざる改善につなげていく――トヨタ生産方式の源にあるのも「危機感」であるらしい。

作業工程で、何か問題が起きた時には、「なぜか?」を五回問うことで、解決策を導き出せ、という執着性もまた、「危機感」があってこそか。


そして、トヨタの企業風土には、地元の英雄、徳川家康を輩出した徳川家の家風を特徴づける「質素・倹約」の土壌が、濃厚にあること。

ついでにいえば、自家意識が強くて、閉鎖的なところも似ているように思うが。


著者は、この二つの要素が、トヨタの企業遺伝子であり、強さの原動力であると述べている。

目には見えない、手で触れることもできないいソフトにこそ、その企業の真価と強さがあるとすれば、他の企業が、その点を見落として、表面的なハード面だけを真似しても、あまり成功しないのは当たり前なのかもしれない。

そんなことを考えさせてくれる本でした。


また、この本では、トヨタ的経営を礼賛しているだけでなく、会社と労働組合の関係や、過労死についても言及しており、全体的にバランスのとれたトヨタ自動車の入門書になっているように思う。


切れ味: 可


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司馬遼太郎 『関ヶ原』

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司馬 遼太郎
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国盗り物語 』では、斎藤道三、織田信長を、そして、『新史太閤記 』では、豊臣秀吉の半生を描いた司馬遼太郎は、本作品で、秀吉死後の権力闘争と、その帰趨を決した関ヶ原の合戦を克明に描いている。


豊臣政権の簒奪を狙う徳川家康。

それを阻止せんとして、対抗する石田三成。


家康は、それまでの律義者のイメージをかなぐりすてて、政権奪取のために悪謀の限りを尽す。

特に、密室で、懐刀の本多正信と、豊臣政権を瓦解させるために、さまざまな計略をめぐらせる描写が、頻繁に出てくるが、悪辣な権力者のいやらしさが滲み出ていて、たまらなくいい。


そして、秀吉に引き立てられた諸侯は、秀吉が死ぬと、掌を返したように、己の保身のために、家康の下に走る。

そんな浅ましい姿も、権力闘争、派閥抗争にはお馴染の光景であり、いつの時代も人間は変らないものだと思わせて、ある意味、微笑ましくもある。


一方、石田三成は、事務官僚としては、卓越した手腕と頭脳を持っていたが、欠点は、人の行動基準を、正義であるか、不義であるかのみで捉える観念論者であったことだ。

だから、保身や利害、欲望で、人が動くことの原理を理解することができない。

したがって、政権交代を狙う家康を、義を踏みにじる者として、これに真っ向から対立する。


世の中を動かすものは、利か、それとも義か?

現在とは比較にならぬほど、熾烈な競争原理が働いていた戦国乱世にあっては、愚問ともいえるが、三成は、どうやら本気で、そんなことを考えて、徳川家康に挑んだようである。

その意味でいえば、戦う以前に勝敗は決していたともいえる。


とはいえ、そんな石田三成の融通のきかない潔癖感が、家康や、彼の下に走った諸侯と対比させた時、とても好ましく感じられる。


本編のラストで、著者が、黒田如水の口を借りて、次のように語らせている言葉が、印象的だ。


――「あの男(石田三成)は、成功した」といった。

ただ一つのことについてである。

あの一挙(関ヶ原の戦い)は、故太閤へのなによりもの馳走になったであろう。

豊臣政権の滅びにあたって、三成などの寵臣までが、家康のもとに走って、媚を売ったとなれば、世の姿は崩れ、人はけじめを失う。……その点からいえば、あの男は十分に成功した、と如水はいうのである。


まあ、これは小説だから、実在した石田三成が、心底、豊臣家のみのことを考えて挙兵したのかは、疑問符もつくが、小説を読む前に、イメージとしてあった単なる小才子とは異なる人物であったことは、確かなようだ。
その見事な男振りに惚れたであります。


切れ味: 良








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――全キリスト者は、イエス・キリスト、すなわち神の地上での代理人と指名されたペトロに、服従しなければならないと決められたのである。
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それ以後、代々の法王は、第一代法王ペトロの後継者として、天国と地上と地下を支配する象徴として(以下、略)


これは、『神の代理人』の冒頭にある文から、部分的に抜粋したものである。

この歴史小説は、ルネサンス期のローマ法王の中で、特に俗世の政治に深く関わった四人の法王たちを取り上げた人物列伝になっている。


ある意味、タイトルにもなっている”神の代理人”のイメージからは、最もかけ離れた人たちばかりが取り上げられている。


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イタリアの危機を尻目に、俗世の享楽を謳歌したレオーネ十世。


神への信仰と愛、清貧や平和を説くべき「神の代理人」にしては、あまりにも人間臭い人たちばかりだ。


キリスト教のような巨大な宗教組織になると、教会を統括し、信者らを指導するべき立場にある法王は、まず、権力の所在を認識、それを制御し、使いこなす術が求められるようだ。
それにしても、”神の代理人”が、俗世の最たるものである政治の術に長けていなければ務まらないというのも皮肉な話である。



切れ味: 良




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