読書ジャンキーの本棚 -4ページ目

司馬遼太郎 『世に棲む日日』


司馬 遼太郎
世に棲む日日 (1)

『世に棲む日日』は、小説というよりも、評伝といったほうがいい作品。

竜馬がゆく 』、『坂の上の雲』に比べて知名度の点では落ちるが、物語の進行が速く、分量的にも簡潔である。


幕末の長州藩が舞台になっている。
主人公は、前半が吉田松陰で、後半は高杉晋作である。


吉田松陰は、その生涯、そして己自身に課した行動規範をみるにつけ、これは、いわゆる武士道なるものが、江戸期の三百年をかけて純粋培養して創り上げたような人物、という印象を受けた。

武士道などといっても、相当に美化して解釈しているであろうから、実際に存在した武士など、いまのサラリーマンのメンタリティと大して変わらないだろうと思う。

しかし、時として、吉田松陰のような、倫理的な意味での武士道の結晶を生むこともあるようだ。


ただ、作品自体は、高杉晋作が登場してからの方が、俄然面白くなる。

伊藤博文の撰文にいう「動ケバ雷電ノ如く、発スレバ風雨ノ如シ」の通り、この人物の行動は、ほとんど劇画の世界である。

クライマックスは、藩ぐるみで暴走し、壊滅寸前に追い込まれた長州藩が、その反動で藩内の革命分子を弾圧している最中に、高杉晋作が、絶望的な情勢を転換させるべく、わずかな人数で決起する雪の功山寺挙兵の場面であろう。

この軍事クーデター前後の緊張感がたまらなくいいのだ。



切れ味: 良


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ガブリエル ストリッカー  『取締役会の毛沢東』

ガブリエル ストリッカー, Gabriel Stricker, 鈴木 尚子
取締役会の毛沢東―毛沢東の「ゲリラ戦論」に学ぶマーケティング戦略

アマゾンの読者レビューで評価が良かったのと、ユニークな題名に期待して購入。

が、昨今、読んだ本の中でも最低のものだった。


毛沢東の提唱したゲリラ戦の戦略論を現代のビジネスに応用しようというアイデアは買う。

が、中身があまりにもお粗末すぎる。

ゲリラ的商法で成功したビジネスの事例紹介の内容の貧弱さは言語を絶するものがある。

こんな無内容なものをわざわざ翻訳したあげく、本にして売るな!


経営コンサルタントと称する著者の経歴も怪しげであり、ビジネス書をパロディタッチに仕上げようとした遊び感覚もくだらなさすぎる。

とにかく買って損した。



切れ味: 不可


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田坂広志  『使える弁証法』

田坂 広志
使える 弁証法

昨今、ビジネスマンの最強思考ツールとして、ロジカル・シンキングをテーマにした本が、大量に出回っている。

あたかも、この論理的思考能力を身に付ければ、あらゆる問題が解決される万能薬、とでもいうかのような煽りにつられて、飛びつくビジネスマンは多いことだろうが、果たして、その中で、どの位の割合で、実際に論理思考力を身に付けた人がいるのだろうか。

そもそも、こういうブームに批判的な目も向けずに飛びついてしまうメンタリティそのものに問題があるようにも思えるのだが……。


本書もその類のものなのであるが、さすがにロジカル・シンキングでは出遅れになるので、「弁証法」を持ち出してきている。

この世の中には、「弁証法」の法則が働いている。

で、この「弁証法」の法則を知り、現実の問題に適用して考えていけば、あらゆる問題の本質、未来が読めるようになるという。

「弁証法」の法則は、万能薬だと強調している点は、ロジカル・シンキングの売り込みと変わることはない。

まあ、思考ツールの一つとして知っておけば、あるいは何かアイデアに詰まった折にでも、役に立つことがあるかもしれないが。

それにしても、文章の少なさといい、行間の広さといい、質量ともにスカスカの本だという感は否めない。


切れ味: 不可

竹田 晃  『曹操』

竹田 晃
曹操―三国志の奸雄

ご存知、「三国志」の英雄、曹操の人物評伝である。

若き日の曹操が、高名な人相見に、自分の人物評を求めたところ、「あなたは治世では優れた能吏であるが、乱世では姦雄になるだろう」と語ったエピソードは、あまりにも有名である。

著者も、曹操という人物の本質は、そこにあるという見方に立っている。

ただし、それは、曹操が、有能ではあるが、冷酷非情な悪人であるという意味ではない。


いわゆる一般に流布している「三国志」では、主役である劉備や諸葛孔明のの最大のライバルとして、その悪役ぶりばかりが印象づけられてしまっている曹操であるが、実際には、曹操こそが、この三国時代において、その人物としての力量、識見が最も優れていたようだ。

誰よりも、有能な人材を欲し、積極的に人材登用したのも曹操であるし、魏・呉・蜀の三国の中で、最も民政に気を配ったのも曹操である。

しかも、彼は卓越した指導者というだけてだはなく、後世に残るほどの名高い漢詩をいくつも遺した詩人としても側面も持っていた。

自他ともに認める英雄であるだけに、曹操には、確かに残酷かつ冷酷な面もあるが、その一方で、感受性豊かな詩をものす思索家でもあったわけで、この多面性が、曹操の人間的な魅力なのであろう。

本書では、最後の章で、詩人としての曹操にかなりページを割いて言及している。

個人的には、この章が一番興味深かった。


最後に、著者の曹操に対する見解を引用したい――


曹操のもつ多彩な表情に対しては、古来、毀誉褒貶、実にさまざまな評価が下されてきた。まことに端倪すべからざる男である。しかしながら、その政治家としての軌跡を追い、詩人として遺した作品を味わってみて、私は、さまざまな毀誉褒貶を超えて、曹操は「新時代を画した」という意味において、まさしく英雄の名に値する人物だった、と同時に、彼はまた、すこぶる感受性豊かな、奥行きの深い人間らしい人間であった、とも思うのである。




切れ味: 可


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木村 文哉  『武道的身体のつくり方』

木村 文哉
武道的身体のつくり方 身体革命を読み解く

昨今の古武術、ヨガ・ブームなどで注目されてきたのが、身体内部を開発するというもの。

これまでの常識とされていた各筋肉のパーツに負担をかけて身体を鍛えていくウエイト・トレーニングとは一線を画している点に特徴がある。

例えば、通常では意識されにくい深層筋を鍛えれば、驚くほど身体はよく動くらしい。

あるいは、手足を動かすことよりも、もっと胴体の動きに着目し、これを意識的に動かしていくことで、身体のパフォーマンスを向上させるとか……。


で、この本では、そのような身体開発のメソッドを、スポーツライターである著者が、あれこれ取材し、紹介している。

「火の呼吸」と呼称されるヨガ、中国武術の意拳・太気拳の静的な身体開発法である立禅、胴体力をテーマにした伊藤式体操、ナンバ歩き等々。

著者自身も、格闘技を実際にやっているようなので、それらの経験に引き合わせながら、上記の各メソッドの有効性について論じているのが、なかなか説得力があっていい。


ただ、最後の章だけ、唐突というか、いきなりウエイト・トレーニング(従来のものとは多少趣は異なるにせよ)を取り上げているのは、全体との整合性の点でどうかとは思う。

この章はなかった方がよかったのでは? 




切れ味: 可


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野口悠紀雄  『「超」英語法』

野口 悠紀雄
「超」英語法

かつて、ベストセラーになった著者の『「超」勉強法』、『「超」勉強法/実践編』の中で取り上げた英語学習法を、無理やり引き延ばして一冊にまとめたような本。

したがって、『「超」勉強法』などで述べたことと重複していることが多く、内容的には薄いと言わざるをえない。


が、これまで何度も、英語を学ぼうと決心したはいいが、その都度、速やかに挫折してしまった人や、英会話学校に高い金を払って入学したものの、ほとんど通うこともなく、一向に英語ができないままの人が、今後、どうしても英語を使う必要性が生じているような場合には、参考になるかもしれない。


著者の言い分は明快である。

まず、なぜ、自分にとって、英語が必要なのか、それも、どのような分野の英語を、どの程度のレベルまでマスターすることが必要なのかをはっきりさせること。

これなくして、漠然と英語が話せたらいいな~、という理由では、あえなく討死してしまう。

要するに、目的意識を明確にせよ、ということで、当たり前の事を言っているだけなのだが、その当たり前が欠如している人があまりに多いということなのであろう。

実際、本屋に行けば、いまだに語学書コーナーは、かなりの店頭スペースを確保しているし、英会話学校の広告も依然として多い。

これらは、漠然としたまま英語を齧っては挫折した人たちが、いまだ量産化されていることの反映に他ならない。


また、英会話学校についていえば、著者の見解では、リスニングができれば、話せるのだから、何も高い金を払って通う必要はないというものだ。

ネイティブの早さを聴き取れるということは、英語で思考しているわけであるから、たしかに話せるだろうし、インターネットにしろ、CDにしろ、無料または安価に購入できるリスニングの教材には事欠かない。


他にも、いろいろと述べているが、結論としては、英語の習得には、質量ともに、かなりの努力を必要とすることは避けられない、つまりは短期間に見る見る上達する魔法の杖などは存在しないということで、その意味からすれば、タイトルと執筆内容との間には、少し落差があるかもしれない。



切れ味: 可


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藤原正彦  『国家の品格』

藤原 正彦
国家の品格

アメリカを模倣しろとばかりに、身も蓋もない功利主義が横行し、格差社会が止まるところをしらないご時世にあっては、必ず本書のような類をテーマにしたものが出版され、結構売れたりする。


この本は、講演禄に加筆したものなので、全体的に粗いというか雑な感じがある。かつ論理的な整合性もない。

というか独断と偏見に満ちている。

例えば、こうだ――。

「戦後、祖国への誇りや自信を失うように教育され、すっかり足腰の弱っていた日本人は、世界に誇るべき我が国古来の「情緒と形」をあっさり忘れ、市場経済に代表される、欧米の『論理と合理』に身を売ってしまったのです」

「小学校から英語を教えることは、日本を滅ぼす最も確実な方法です」

「本当に重要なことは、親や先生が幼いうちから押しつけないといけません。たいていの場合、説明など不要です。頭ごなしに押しつけてよい」

「「いじめに対して何をなすべきか。カウンセラーを置く、などという対症療法より、武士道精神にのっとって『卑怯』を教えないといけない」

「人間にとっての座標軸とは、行動基準、判断基準となる精神の形、すなわち道徳です。私はこうした情緒を育む精神の形として「武士道精神」を復活すべき、と二十年以上前から考えています」


すっかりアメリカナイズされた日本の現状に対して、苦々しさを感じている人たちには、よくぞ言ってくれた、と溜飲の下がる思いがするのだろう。

だからなのか、この本はベストセラーになっている。


それにしても、本来あるべき日本、あるいは日本人の理想像を、いまだに新渡戸稲造の『武士道』に求めなければならないというのは、ちと寂しいような気もする。



切れ味: 可


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野口悠紀雄  『ゴールドラッシュの「超」ビジネスモデル』

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アメリカ西海岸にあるカリフォルニア州は、世紀を越えて、二つのゴールドラッシュを経験している。

まず最初は、十九世紀、この地で金が発見されたことによるものだ。

それまで、あまり人が住み着いておらず、自然にさらされるままであったこの地が、金の発見により、輝かしいフロンティアに一変した。

このフロンティアを目指した多数の野心家の中から、ほんの一握りだが、巨万の富を築いた者たちが現れたのである。


もう一つのゴールドラッシュとは、ITによってもたらされたもので、二十世紀末から現在も進行している。

これは、主にITの主流をなしているトップカンパニーの多くが、この地から誕生していること、もっと言えば、スタンフォード大学の学生達の手によって起業されているケースが多いことを指している。

例えば、ヤフー、グーグル、シスコシステムズ、サンマイクロシステムズ、ネットスケープ、ヒューレットパッカード等々である。

当然のごとく、こうしたベンチャーから株式公開を果たした起業家たちは、莫大な富と名声を手に入れた。

創業者だけでなく、ストックオプションを持っている従業員たちの間にも、かなりの報酬を得た者が結構いたりする。


その二つのゴールドラッシュの策源地が、いずれもカリフォルニア州であるというのは単なる偶然ではなく、共通した理由が存在するのではないか。

つまり、この地に、富を生み出すための何らかの社会的要因が働いているのではないか――だとすれば、その要因、あるいは環境や条件とは何なのか?

また、この地に集まった大勢の競争者の中で、成功したごく一握りの人や会社は、どうして競争に勝つことができたのか? 

それらを探ることが、本書の主題である。

更に言えば、このゴールドラッシュを反射鏡にして、今の日本に足りないものは何かについて言及している。


あくまでアメリカ的な優勝劣敗型の自由競争を説いてやまない著者の主張には、賛否両論あるだろう。

ただ、そうした著者の自論を肯定するか否かは別にしても、十九世紀のゴールドラッシュにまつわる数々のエピソードは、なかなか面白い。

また、それと、現在、この地でのITの活況を、スタンフォード大学を媒介にして結びつけていく展開もスムーズで違和感は、それほど感じられない。

アメリカ文化の一つの側面を知るうえで、読んで損はない。



切れ味: 可



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古代ローマ帝国を築き上げたローマ人とは、自分たちとは異なる世界観を持った他者の存在を認める寛容の精神と、理性の力を信ずる人たちであった。

だからこそ、異なる民族、宗教が混在しながらも、普遍的な法制度が、帝国の隅々まで行き届いた文明を築き上げることができた。


が、そのローマ人たちの根底を支えた精神も、帝国の外からの蛮族の絶えざる侵入と、帝国内のキリスト教勢力の台頭によって、衰弱し、やがて消滅していくことになる。


本書では、その帝国内外の危機である蛮族侵入とキリスト教の台頭が克明に掻かれている。

特にキリスト教による世俗権力に対する支配権の確立に至るプロセスは、なかなか読み応えがある。


また、こうしたキリスト教勢力に対する防波堤を築こうと苦心した悲劇の皇帝ユリアヌスの短い生涯も、十分にドラマティックでありながらも、抑えた筆致でものされている。

著者が言うように、ユリアヌスの治世が十九ヶ月ではなく、十九年だったとしたら、あるいは、その後のローマ帝国の様相も、そして、暗黒の中世と呼ばれたキリスト教に支配されたヨーロッパの風景も、大分異なっていたかもしれない。

そう思わせるだけの、なかなか魅力的な人物である。


歴史の大筋の流れが向かう先は、たかが一人の人間の力だけで変えられるものではない。

それでも、一人の賢明な人間の意志と実行力に、環境と運の良さが重なった時には、歴史の辿る方向性は、全く別なものになったかもしれない・・・・・・ユリアヌスの生涯は、そんなことを考えさせてくれる。



切れ味: 可



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下村湖人  『論語物語』

下村 湖人
論語物語

『論語』は、二千数百年前、古代中国に生きた人、孔子が語ったと伝えられる言葉をまとめた箴言集のようなものである。

門弟たちの問いに対して、孔子が「子いわく~」という形で答える問答形式になっている。

拝金主義の横行する現代にあっては、人の生きる道とは何かを説いた『論語』などは、アナクロニズムの象徴のようなものに映るかもしれない。

しかしながら、功利主義一辺倒に傾きつつある現在こそ、相手を思いやる精神と実行を説いた孔子の訓えを見直してみる必要があるのかもしれない。

が、さすがに『論語』そのものを紐解くのは億劫なので、代わりにこの本を読んでみた。

これは『論語』に精通した著者が、現代人の視点と感覚で『論語』を捉え直し、孔子と門弟たちの成長物語として再構築し、蘇らせたものである。


全28話の物語は、どれもが独立した作品になっているが、同時に、全体として連続した物語として読むこともできる。


少々長いが、本書の序文に記された著者の文章を引用したい。


――『論語』は「天の書」であるとともに「地の書」である。孔子は一生こつこつと地上を歩きながら、天の言葉を語るようになった人である。天の言葉は語ったが、彼には神秘もなければ、奇蹟もなかった。いわば、地の声をもって天の言葉を語った人である。

彼の門人たちも、彼にならって天の言葉を語ろうとした。しかし彼らの多くは結局、地の言葉しか語ることができなかった。

われわれは、孔子の天の言葉によって教えられるとともに、彼らの地の言葉によって反省させられるところが非常に多い。

こうした『論語』のなかの言葉を、読過の際の感激にまかせて、それぞれに小さな物語に仕立ててみたいというのが本書の意図である。

この物語において、孔子の門人たちは二千数百年前の中国人としてよりも、われわれの周囲にざらに見いだしうるふつうの人間として描かれている。

『論語』が歴史でなくて、心の書であり、人類の胸に、時所を超越して生かさるべきものであるならば、われわれが、それを現代人の意識をもって読み、現代人の心理をもって解剖し、そしてわれわれ自身の姿をそのその中に見いだそうと努めることは、必ずしも『論語』そのものに対する冒涜ではなかろうと信ずる。


てなわけで、どれも短いながら、滋味のある物語ばかりだ。そして、折に触れて、何度でも繰り返し読んでみたくもなる。得がたい一冊である。



切れ味: 良


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