読書ジャンキーの本棚 -14ページ目

成毛真と日経MJ 『成毛真のマーケティング辻説法』 

著者: 成毛真と日経MJ
タイトル: 成毛真のマーケティング辻説法

この本の著者、成毛真は、マイクロソフト日本法人の元社長。
外資系企業の経営者だった成毛の、日本企業に対する見方は、かなり辛辣である。
仮に、ビジネスを競争面に限定して捉えれば、それは戦争と変わらない。
戦争に勝つためには、まず戦略と戦術を峻別して考えなければならない。
これは、欧米の企業では、基本中の基本とも云えるもので、マイクロソフト本社の幹部クラスも、熱心に「戦争論」を研究しているそうだ。
ところが、日本の企業では、その面での研究が決定的に不足しているらしい。
戦略もなしに、現場の判断に任せた結果、太平洋戦争で日本は敗北した。
そして、半世紀以上が経過した現在でも、日本企業が停頓している原因もここにあるのではないか、と分析している。
特定の固有名詞を挙げていないが、成毛の云う「戦争論」とは、おそらく孫子マキアヴェッリクラウゼヴィッツ らの文献をさしているのであろう。


こうした「戦争論」の考え方を、マーケティングにあてはめると、戦略とは、開戦前の時点で、その企業の商品、商戦が、何を目的にしたものかを明確に定め、どの時点を達成した時に、それを勝利と判断して、戦線を切り上げるのかを予め決めておくことである。
その後、今度は、それを遂行するための個別の戦術を練っていく。
日本企業の場合、この戦略的側面が決定的に不足している
、と成毛は云う。


そうした持論を述べたうえで、具体的に個別のケーススタディを基に、独自の解釈によるマーケティング論を展開していく。
現役の経営者だけに、机上の空論とは異なる「地に足の着いた」しかし「常識とは少し違った目線」でのユニークな言及が多い。
ただし、ケーススタディとして取り上げられている事例は、やや古い。
だから役に立たないというわけではなく、いくらでも応用は可能であるし、上手に自社の事業に活用していくことが、マーケティング戦略というものであろう。


例えば、数年前のユニクロの爆発的なヒットと、その急速な凋落を、「ネットワークの外部性」という概念の法則性から考察している。
「ネットワークの外部性」とは、いわば、そのネットワークへの参加者が、増えれば増えるほど、競合相手を圧倒するシェアを急速に拡大させ、それが、事実上の標準(デファクト・スタンダード)になってしまう強力な法則性を指した言葉である。
また、ドンキホーテや、デパ地下人気の深層を、現代人にとって、「時間」は「貴重品」という考え方を逆手にとって、あえて、その「時間」を無駄なことに潰してもらう「逆張り攻略法」として解釈してみせる等々。


どうやら、優れたマーケッターとは、当たり前すぎて見過ごされてしまうような盲点に「気づく」能力を持ち合わせた人のことをいうようである。


切れ味: 可


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梁石日 『夜を賭けて』

著者: 梁 石日

タイトル: 夜を賭けて


終戦から十年たった昭和三十年頃、旧帝国陸軍の大阪造兵廠があった跡地を舞台に、極限状況に置かれた在日コリアンたちが、跡地の地下に埋蔵されている屑鉄を、掘り出して換金するために、自称アパッチ部隊を組んで、夜になると跡地に潜入し、暗躍する。


物語は、屑鉄といえども国有財産であるとして、取り締まりを強化する日本の警察と、アパッチ部隊との攻防戦を経て、そのアパッチ部隊の一人であった金義夫が、まったく別件の事件の濡れ衣で立件され、長崎にある大村収容所に収監、そこで、凄惨な目に遭わされつつも、恋人の初子らの奔走によって、無事、出所されるまでの模様を描いている。


在日であるというだけで、理不尽な扱いを受け、夢も希望もないままに、やむなく盗賊部隊となって、国家と対立せざるをえなかった在日コリアンたちの極限状況の描写は圧巻である。


金義夫は、物語全体を通しての主役というわけではない。

物語の前半は、アパッチ部隊そのものが主役であり、その面々による悪戦苦闘の模様が、時に凄惨に、時に自虐的なまでにコミカルに描かれている。
その日暮らしの生活に追われる彼らは、それぞれが少人数の仲間ごとにアパッチ部隊を組み、夜になると、跡地に潜入して屑鉄拾いに精を出す。

金義夫らは、少しでも競争相手のアパッチたちを出し抜こうと、あの手この手を考えるのだが、いつも裏目に出て、逆に出し抜かれてばかりいる。その情けないまでの間抜けさぶりには、笑いを誘われる。


梁石日(ヤン・ソギル)は、在日コリアンたちの生態と、常に彼らを抑圧し、隠蔽しようとする日本の恥部を鋭く抉ることをライフワークとしている作家だが、この作品でも、その主題を貫いてはいるものの、、時に垣間見せるユーモラスな筆致によって、可笑しみすら感じさせる作品に仕上げている。





切れ味: 可


塩野七生 『マキアヴェッリ語録』

著者: 塩野 七生
タイトル: マキアヴェッリ語録

かつて、マイクロソフト日本法人の社長だった成毛真 は、35歳で同社の社長を任された時、参考にしたのが、イタリア・ルネサンス期、フィレンツェ共和国の外交官だったマキアヴェッリの『君主論』であったそうだ。

成毛は、社長就任と同時に、『君主論』に書いてあることを忠実に実行した。

無能の社員を容赦なくクビにし、自分の意志伝達が速やかになされるよう組織改革を断行。おかげで、海外にある同社の現地法人の中でも、最も優秀な会社に生まれ変わった。


昔から、目的達成のためには手段を選ばない非情な権力者を「マキアヴェリスト」と云うように、『君主論』と、その著者マキアヴェッリに対する評価はいまひとつである。

とりわけ、「敬天愛人」を信奉する西郷隆盛のような寛容性と正義感の強い人物を、理想的なリーダーとして慕う傾向がある日本では、マキアヴェッリの考え方に対するアレルギーがあるようだ。

だが、それは『君主論』の思想は、「目的のためには手段を選ばず」という誤解されたイメージゆえのものである。

『君主論』の中で述べられているのは、正確には、「目的の達成のために、その策が有効であるならば、手段は選ぶべきではない」と云うことだ。

一見、似ているようで、実際の意味には、かなりの違いがある。

であればこそ、現代の経営者が、この十六世紀の古典を、経営の参考書にできるのだろう。


前置きが長くなったが、『マキアヴェッリ語録』で、塩野七生が試みたのは、マキアヴェッリの思想を、余計な夾雑物を取り除いて、現代にも通じる普遍的なエッセンスだけを抽出したことだ

日本人が、海外の古典、特に文明圏の異なる西欧の古典を読むうえで大きなネックになるのが、その作品が書かれた時代背景に対する知識の欠如である。

ために巻末に膨大な訳注が組まれることになる。マキアヴェッリの『君主論』も例外ではない。

その鬱陶しさが、古典から日本人を遠ざけてしまう要因になっているとみた塩野女史は、そうした歴史背景を知らずとも、読んで理解できる言葉だけを、彼の著作、書簡から抜粋することだけに専念している。

つまり、要約でもなく、解説でもない、生なマキアヴェッリの言葉だけが、剥き出しになっている。
したがって、強い意志と、冷徹な観察眼と洞察力を兼ね備えた者だけが、真の君主たりうると説いたマキアヴェッリの真意が、原書を全編訳したものよりも、より強く伝わってくる。

なお、塩野七生の『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷 』の主人公チェーザレ・ボルジアは、マキアヴェッリが、最も理想的な君主であると評した人物だ。

興味のある方は、是非、一度読まれたい。

余談だが、古典的名著『戦争論』の著者クラウゼヴィッツ も、マキアヴェッリの著作の影響を、強く受けていたようだ。


最後に、語録の中で、印象に残った言葉を引用しておく。


わたしは、はっきりと言いたい。

運は、制度を変える勇気をもたない者には、その裁定を変えようとはしないし、天も、自ら破滅したいと思う者は、助けようとしないし、助けられるものでもないのである、と。


切れ味: 良


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雫井脩介 『白銀を踏み荒らせ』

著者: 雫井 脩介
タイトル: 白銀を踏み荒らせ

前作『栄光一途 』 で活躍した篠子&深紅の名コンビが再びタッグを組んだスポーツミステリーの第二弾。
今度はスキーのお話です。

柔道ミステリーという珍しい作品でデビューした雫井脩介だが、まずはスポーツミステリー作家としての地盤を固めようと本人が思ったのか、それとも、担当編集者が、当初はそれで売っていこうと意気込んだのかは知らないが、大振り三振といったところ。


秘密結社からの刺客が暗躍するなど、あまりに漫画チックで、話が現実離れしすぎている。

しかし、それよりも、うんざりさせられたのが、競技スキーの説明が長いことだ。小説を読んでいるのだか、スキーの実用書を読まされているのだか、わからなくなってくる。


キャラの冴えは相変わらず秀逸だ。

篠子は、前作にも増して、ますます優柔不断の性格に拍車がかかり、深紅はいよいよ凛凛しい。

しかし、ゴンドラでのアクションシーンなど、それなりに見応えのある箇所もあるけれど、全体的なテンションの低さは否めなかった。


切れ味: 不可


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宮部みゆき 『火車』    

著者: 宮部 みゆき
タイトル: 火車

いまさら言うまでもないが、『火車』は、日本のミステリー史上に残る傑作です。
これに異議を唱え、「いや、稀に見る駄作だ」、「とるに足らない凡作にすぎん」、とのたまう人には、滅多にお目にかかれません。


社会問題になったカード破産が、物語の重要な背景になっている。

社会派推理小説の巨匠、松本清張が云うところの「動機の解明」に、この作品ほど、貪欲に取り組んた゛ものは、そうはないだろう。

犯罪が起こるに至った原因を、犯人一人だけの事情に求めるのではなく、その社会背景にまで拡大させて、一見、繁栄しているかに映る社会の病巣を抉り出すことに成功している。

いわば、社会派推理小説は、松本清張によって、生み出され、宮部みゆきの『火車』によって、ある一つの完成形に到達したといえる。


そして、登場人物は、幻のヒロインも含めて、みな愛しいキャラばかり。
その斬新な試みゆえに、直木賞の選考委員にケチをつけられたラストシーンの余韻も、数あるミステリーの中でも屈指でしょう。


にも関わらず、宮部みゆきは、作家として、ある種、不幸ではないかと思ったりもする。
彼女がこの作品を発表したのは、まだ三十を少し過ぎた頃だ。
これほどの傑作を執筆できる機会は、彼女ほどの才能をもってしても、二度とあるかどうか。

それを三十そこそこの若さで書いてしまった作家にとって、その後の創作活動は、随分辛いものになるのではないかと思われるからだ。



彼女の知名度は、この作品によって、飛躍的にあがり、以後、宮部ワールドのフィールドワークも拡大していったのは周知の通りだが、いまだ、「火車」に匹敵する作品は書かれていない。

評判になった模『倣犯 』をもってしても、『火車』の完成度には敵いません。
もう二度と『火車』のような傑作とは出逢うことはできないと諦めるしかないのかもしれない。


でも、宮部みゆきだったら、もう一度、奇跡を起こしてくれるかもしれない。そんな期待を抱かせてくれるのも、宮部みゆきだから。


切れ味: 優


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東野圭吾 『白夜行』

著者: 東野 圭吾
タイトル: 白夜行

わかっちゃいるけど、東野圭吾は上手いよなー、と改めて痛感させられたのが、『白夜行』だ。
ミステリーの職人芸に徹した業師、東野圭吾の作品の中でも、ひときわ完成度が高い。

ただ、内容そのものは、謎解きのミステリーというよりも、徹底して犯罪そのものを描いた暗黒小説という印象を受けた。


幼少期から思春期に入る直前の子供が、大人たちのもっとも醜悪な世界を網膜に焼付け、その敏感で幼い五感を汚染され尽された時、その後の人生は完全に狂った方向へ暴走していく。
トラウマが、子供の心の深層に眠っていた悪意を覚醒させ、その周囲にいる人間たちを無差別に破壊し、災難をもたらさずにはいられない怪物へと変貌させてしまったのだ。


東野は、一作ごとに、作風、文体を、がらりと変えてしまう難事業をやってのける作家だが、この小説では、犯人たちの内面描写を一切省いて、その行動だけを追うドキュメンタルな筆致に徹している。したがって、克明な犯罪フィルムでも見せられている気分になってくる。
ただ、その分だけ、犯人たちの悪意と、犯罪の残酷さが際立ってしまい、感情移入ができないこともあって、読後、なんともいえない不快感が残ってしまった。
結末も唐突でちょっと呆気なかったように思う。


それにしても、東野圭吾は、職人肌の作家である分、京極夏彦や宮部みゆきといったスター性のある作家の陰に隠れて地味な存在になっているようで残念。もっと評価されてしかるべき人なのに。
直木賞の候補にも何度も挙っているのに、大家の某先生に嫌われているのか、毎回、論評ともいえないコメントをつけられているし。

東野圭吾がカワイソウだー。


切れ味: 良


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柴田錬三郎 『決闘者宮本武蔵』

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戦後の時代小説における最大のヒーロー、眠狂四郎を生み出した柴田錬三郎の”柴錬版武蔵”は、一般に流布している宮本武蔵のイメージを創り上げた、吉川栄治の武蔵像とは、全く異なる。

人気漫画『バガポンド』の原作にもなっている吉川版武蔵は悩める人だ。野獣のごとき猛々しさを、剣の修行によって克服し、精神の浄化を求めて、ひたすら彷徨を続ける。社会的な地位も名誉も女も、修行の妨げになると退けるミスターストイックである。

柴錬版武蔵は、そんな剣の精神がどうとか、眠くなることは一切いわない。

目的はただ一つ。強敵を求めて、決闘を挑み、ひたすら勝ち続けることのみ。うだうだと説教を垂れない分、むしろ小気味よい。

とにかく物語の最初から最後まで斬り合いのオンパレードだ。夜盗、吉岡一門、海賊、鎖鎌、槍、棒術、忍者に柳生一門、そして佐々木小次郎と、一体何人殺したんだというぐらいに、斬って斬って斬りまくる。これだけ殺陣の描写の多い小説も、あまりないと思うよ。

柴錬版武蔵は、勝つためには、手段は選ばず、卑怯なだまし討ちも、兵法であるとして躊躇しない非情に徹した武芸者であったが、宿敵である佐々木小次郎に勝った後、養子の伊織と立ち合い、生涯ただ一度の老婆心を起こしたために、伊織の木剣を頭部に受ける破目になる。そして命はとりとめたものの以前とは別人のような廃人になってしまうという皮肉な結末で終わっている。

皮肉屋の柴錬のことだから、吉川栄治の美化された武蔵像に飽き足らなかったに違いない。きっと、唇をへの字に歪めながら、人と人が斬りあう極限状況を数限りなく切り抜けてきた武蔵が、吉川栄治の描くような悩めるインテリのわけがない。俺ならこう書くと毒づきながら、執筆したんじゃないかと思う。

切れ味: 良


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雫井脩介 『栄光一途』

著者: 雫井 脩介
タイトル: 栄光一途

大藪春彦賞も受賞して、のりにのっているミステリー作家、雫井脩介のデビュー作。柔道界という、いわばマイナーな世界を舞台にしたスポーツミステリーだ。


内容としては、柔道の強化選手によるドーピング問題を絡ませるなど、社会派的な要素も多少はあるが、全体的には、肩の凝らないコミカルなミステリーといった印象である。

後の諸作品で次第に濃厚となってくる人間の心の奥底に潜む悪意を、不気味なタッチで描いていく作風は、それほどには感じられない。




柔道の試合のシーンも含めて、冴えのある文体で、あっという間に読めるが、ミステリーとしては、少々食い足りない気もする。真犯人の意外性は買うけれど。

この作品の見所は、かなり優柔不断な性格の主人公、篠子を助ける、親友の深紅の存在だろう。

池波正太郎の『鬼平犯科帳』の愛読者にして剣道の達人。

篠子がピンチに陥ると、いつも颯爽と登場してくる彼女のキャラは抜群だと思う。

なお、このコンビが活躍する続編『白銀を踏み荒らせ 』も、出版されている。

雫井脩介は、この作品で、新潮社の主催するミステリー賞をとってデビューしたが、当時の選考委員たちの評価は、あまり芳しいものではなく、たしか、選考委員の一人であった馳星周などは、受賞作、最終選考候補作を含めて、「どの作品も現実と向き合おうとはしていない」とかなり辛辣なことを言っていたように記憶している。

雫井の作品が、『虚貌』、『火の粉 』、『犯人に告ぐ 』など、次第に暗黒小説的な色彩を帯び始めたのは、それに対する彼なりの回答なのかもしれない。




しかし、雫井脩介というペンネームは読みにくい。

切れ味: 可


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司馬遼太郎  『峠』

著者: 司馬 遼太郎
タイトル: 峠 (上巻)


司馬遼太郎の作品の中で、明治維新を敗者の側から描いた代表的な作品が、『燃えよ剣』と『峠』だろう。

でもって、今回は『燃えよ剣』よりは知名度の落ちる『峠』をとりあげてみたい。

主人公の河井継之助は、越後長岡藩士。幼少から気性が激しく、容易に人の教えに従わず、一人、我を頼むという人物で、周囲からは変わり者と思われていた。

武士の嗜みで゛ある剣術も、馬術も、一通り覚えてしまうと、後は見向きもしないというあたりは、古代中国の英雄、項羽のエピソードに合い通じるものがある。

すなわち、将に将たるものは、一騎駈けの剣や乗馬などに精通する必要はないというわけである。

その河井が深く傾倒したのが、中国の王陽明という人の唱えた陽明学という学問である。

王は、軍人兼行政官兼学者という多才な才能を持った一種の天才で、その学問の神髄は、「知行合一」。

学問は、ただ知識を得るだけでは意味がない。行動が伴ってこその学問であるとするもので、言い方をかえれば、思索しつつ行動し、行動しつつ思索する人たれということになる。

河井は、自らを王陽明の後継者たらんと欲し、その自らが正義と信ずる行動規範にのみ基づいて、生きていく。それは、自分にとってどうすれば、「いかに美しく生きるか」であり、また「いかに美しく死ぬか」と自問自答していくことであった。

『峠』では、北陸という裏日本の地の利の悪さゆえに、時勢から取り残されつつある長岡藩を、藩政に参画し、やがては筆頭家老となった河井が、一方で、藩制改革をしつつ、他方では、西国雄藩とも外交折衝をもって、官軍にも徳川軍にも属さない武装中立藩たらしめようと、悪戦苦闘する様子を描いている。

しかしながら、時の勢いに抗すること適わず、北越地方に侵攻してくる官軍を迎え撃ち、焦土作戦を展開して、その戦争の最中、命を落とすことになる。

司馬遼太郎は、河井の国内外の情勢を正確に捉えている認識力や、先を見通す先見性、そして軍事、行政改革で示した卓越した手腕を高く評価し、また、河井の人生そのものが、見事な芸術作品で、「武士の倫理」の結晶そのものであると賞賛している。

たしかに、河井継之助の一生は、彼一個の一生として観れば、見事に完結している。英雄として生き、英雄として死んだのだから。ただ、『峠』ではそれを賛美するあまり、この戦争に否応なく巻き込まれて死んでいった長岡藩内の領民の悲惨さについては、看過してしまったようだ。

河井の立場の視点に立って、物語を進めている以上、視点の混乱を避けるため仕方ないとはいえ、英雄賛美のきらいは免れない。

なぜなら、戦争そのものは、絶対に回避できなかったわけではなく、河井の意図するところの武装中立の構想が費えたに過ぎなかったのだから。そこで戦争を回避して絶対恭順することを潔しとせず、己の意志と美学にしたがって、美しく生き、美しく散っていくのは勝手だが、実際に戦場に借り出される兵士や領民は、たまったものではなかったろう。

もっとも、この作品以前に発表している短編『英雄児』では、この点についても、少し言及しており、維新後、河井家の墓に鞭打つ者が絶えず、いたたまれなくなった遺族が、他所に移っていったことも記されている。

この短編の結びの言葉も印象的だ。手元に短編集がないので、正確には覚えていないが、多分、次のようなものだったように思う。

いわく、英雄は時と場所を間違えると、とんでもない災難を引き起こすものである。

切れ味: 可


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司馬遼太郎の作品中、もっとも人気があると思われるこの小説には、少年ジャンプ的要素が満載している。

すなわち、司馬遼太郎が描くところの坂本竜馬は、北辰一刀流剣術の達人で、美人の女性たちには惚れられまくり、そして幕末の動乱の収拾を一手に引き受けた自由奔放かつ機略縦横な革命家である。おまけにいまのベンチャー起業家の走りでもある。そして若くしての劇的な死。

超人的なヒーローが大活躍する少年漫画の世界のノリそのままではないか。

どうやら、ヒーロー願望というやつは、少年からいい歳をした大人の男までを魅了してやまないようだ。

ちなみに、熱狂的な竜馬ファンで知られる武田鉄矢は、かつて司馬遼太郎に直接会った際、「あんた、いい歳をした大人がいつまでも竜馬、竜馬ではないだろう。いい加減に卒業しないと」と窘められたそうである。

切れ味: 可


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