読書ジャンキーの本棚 -12ページ目

雫井脩介 『火の粉』

著者: 雫井 脩介
タイトル: 火の粉

ごく平凡な家庭を営む一家の隣に引っ越してきた住人は、一見、「底抜けの」という形容詞がつきそうなほどの善人。
ところが、その本性は、狂気そのものの異常人格者。
表向きの善意とは裏腹に、隠微な悪意が、次第に一家の日常生活を蝕んでいく。


この隣人、はっきりいって怖いです。
こんなサイコ野郎が、隣りに引っ越してきたら、とんだ災難というもんです。
まさに、触れれば火傷をする「火の粉」そのもの。


栄光一途 』のような手軽なミステリーとは異なる、クライムノベルに仕上がっている。



ただ、物語の進行が、なかば予定調和的なので、意外性に欠けるのが欠点。
しかしながら、映像的な描写と、場面展開が早いので、飽きることはない。
まるで、ハリウッドのサスペンス映画を観ている気分に浸れる。


それから、物語のテーマ、雰囲気などに、奥田英郎の『邪魔』と共通するものが感じられた。
すなわち、幸せで平凡な日常生活など、砂上の楼閣に過ぎず、ちょっとしたきっかけ一つで、もろくも崩壊してしまうという怖さである。


それにしても、雪見の亭主は、いまだ定職のない身のくせに、やたら態度がでかくて、雪見への思いやりにも欠けている。
その無神経さに、読んでいて腹が立つほどだ。
――と、思った時点で、著者の掌中にのせられているのであった。


切れ味: 可


お勧めの関連書籍

貴志 祐介

黒い家

奥田 英朗

邪魔〈上〉

司馬遼太郎 『風神の門』

著者: 司馬 遼太郎
タイトル: 風神の門 (上巻)

談で有名な真田十勇士の一人、霧隠才蔵を主人公にした伝奇時代小説。


組織に忠誠を誓い、組織の中に埋没することをよしとしない伊賀忍者、霧隠才蔵。
才蔵は、己の磨き上げた忍びの術のみを信じ、その技術をもって、世間を渡っていく忍者である。
奇しき縁から、徳川家と一触即発にある大阪方の浪人、真田幸村に雇われた才蔵は、甲賀の猿飛佐助とともに、徳川家康の暗殺行に向かう。


見所は、徳川家康の護衛役、風魔獅子王院との対決。
この敵役のキャラが際立っている。
風魔獅子王院は、彼一人で、城一つを攻め落とすという伝説の忍者。
そして、獅子王院配下の風魔一族は、闇夜での火攻めを得意とする忍者集団。
この風魔一族との火遁の術合戦、獅子王院との一騎討ちの攻防戦は、映像的で、見応え十分。


司馬遼太郎は、『梟の城』もそうだったけれど、伝奇的色彩を帯びた初期の頃の作品のほうが面白かったように思う。



切れ味: 可



お勧めの関連書籍

柴田 錬三郎

赤い影法師

五味 康祐

柳生武芸帳 (上巻)

浅野裕一 『「孫子」を読む』

著者: 浅野 裕一
タイトル: 孫子を読む

二大兵書として、クラウゼヴィッツ の『戦争論』と並び称される中国の『孫氏』

孫子の兵法は、現在でも、経営者やビジネスマンに、大変人気があるようです。
しかしながら、「論語読みの論語知らず」と同様、大抵の場合、少しかじるか、全編棒読みで、分かったような分からないようなという人がほとんどではないでしょうか。


その大きな理由に、漢文特有の哲学的深遠を帯びた抽象的な表現に対する敷居の高さがあるように思えます。
もし、想像力に長けた人ならば、抽象的な色彩の言葉も障害にはならないでしょう。
例えば、孫子を、座右の書とした歴史上の人物を取り上げても、三国志の英雄、魏の曹操、武田信玄、ナポレオンを枚挙に暇がありません。
そういえば、現代の経営者でも、孫正義が愛読しているらしい。
つまりは、読み手の想像力によって、この古典の価値は、大きく左右されてしまうということです。
だから、ごく一部の天才や、学識のある人を除いた、その他大多数の人にとっては、敷居が高いのです。


そこで、直接、岩波文庫などで、この古典に接するよりも、ワンクッション置いて、本書『「孫子」を読む』を入門書として読んでみるとよいかもしれません。
この本には、原書からの抜粋による言葉の引用と、その意味するところを、実例(主に太平洋戦争)を用いて、分かりやすく解説しています。
まず、孫子の言葉の意味するところの基本を押さえたうえで、後は、自分の想像力を働かせればよいのではないでしょうか。


孫子の兵法の特色を、著者は次のように指摘しています。


――軍事についての柔軟な思考。
直接的に軍事力を行使するよりも、それ以前の間接戦略(謀略、外交)を重視していること。


孫子・謀攻篇/故に上兵は、謀を伐つ。その次は交を伐つ。その次は兵を伐つ。その下は城を攻む。

たしかに、戦争するよりも、出費がかからず、効率的です。


――敵の主力と決戦して勝負を決する短期決戦主義。
そのためには、不必要な戦争は、回避する。


孫子・謀攻篇/是の故に百戦百勝は、善の善なる者には非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり。
これまた、コストを最小限に抑えるためですね。


――戦争になる前に、勝てる仕掛けを施す。


孫子・用間篇/故に明主・賢将の動きて人に勝ち、成功の衆に出ずる所以の者は、先知なり。
当たり前のようですが、案外できていません。


孫子の兵法の極意を会得したら、孫正義のような資産家になれるかな?



切れ味: 可


お勧めの関連書籍

浅野 裕一

孫子

山本 七平

「孫子」の読み方

クラウゼヴィッツ, Karl Von Clausewitz, 篠田 英雄

戦争論〈上〉

福田和也 『悪の恋愛術』

著者: 福田 和也
タイトル: 悪の恋愛術


この本は、著者の流儀に乗れれば、そこそこ愉しめる本ではある。


人間は、所詮は孤独な存在。
それを前提にしたうえで、福田は、恋愛を次のように定義する。


――孤独な人間にとって、恋愛は、つまりは二人の人間がもっとも緊密に関係し、おたがいに興味を持ち、与え、奪い、支配しようとし、支配され、語り合い、求め合う営みです。
それは、もっとも愉しく、同時に深く、面倒な事業です。……周到に練り上げて、はじめて快楽を享受できるような高度の事業なのです。
ですから、周到かつ狡猾に組み立てなければならない。


こういう定義を下している以上、その恋愛術には、自然体、純真などといったものは、一切無用となる。
全ては、徹底的に計算し尽くされていること。常に主導権を握り続けること。倦怠を回避するために、刺激的な工夫を取り入れること、等々。


要は、自己中心でしかない自分という存在を肯定して、恋愛のうえでも、いかにエゴイズムを貫徹できるか、絶えざる工夫を積み重ねよ。
そうして、始めて成熟した恋愛を愉しめるというわけだ。

まるで、マキアヴェッリの『君主論』の恋愛版である。


いい人なんだけどね、で片付けられてしまっている方には、一読の価値があるかも。


切れ味: 可


お勧めの関連書籍

福田 和也

悪の対話術

フランチェスコ グィッチャルディーニ, Francesco Guicciardini, 永井 三明

フィレンツェ名門貴族の処世術―リコルディ

篠田節子 『女たちのジハード』

著者: 篠田 節子
タイトル: 女たちのジハード

性格も、人生観も異なる五人の女性たちの悪戦苦闘記。



恋愛、家庭、仕事、生活設計、将来……。

悩みは共通しても、その向き合い方には、自ずと、彼女らの個性が、強く現われる。

そんな悩める女性たちの成長物語は、読者の、特に、登場人物と同年代の女性層の共感を呼びそうに思える。

気分が、へこんでいる時などに読めば、元気を与えてくれるような小説である。


ただ、物語に意外性があるわけではない。

予定調和的なのである。

ストーリーといい、配役といい、よくありがちなテレビの連続ドラマを観ているようなのだ。
そこに、物足りなさが残った。

切れ味: 可

桐野夏生 『顔に降りかかる雨』

著者: 桐野 夏生
タイトル: 顔に降りかかる雨

この小説は、なによりもまず、題名がカッコいい !

ハードボイルド小説は、内容がよくても、題名がダサいと台無しになる。


文体も潔くて凛凛しい。

ハードボイルド小説の生命線は、ストーリーよりも、文体である。


作品自体も、上質のミステリーとはいいかねるが、ハードボイルドとしては、なかなかの出来である。



主人公の私立探偵ミロは、冒頭では、あまり冴えない三十路女にしか見えない。
しかし、物語が進むにつれて、だんだん魅力が増してくる。
そして、最後には、颯爽とした女性に変貌して見えるのだ。


ミロの魅力に屈した人は、続編の『天使に見捨てられた夜』も読まれるとよい。


切れ味: 可


お勧めの関連書籍

ジェイムズ・クラムリー, 小泉 喜美子

さらば甘き口づけ

桐野 夏生

天使に見捨てられた夜

 岡嶋二人 『焦茶色のパステル』

著者: 岡嶋 二人
タイトル: 焦茶色のパステル

すでにコンビを解消している岡嶋二人の乱歩賞受賞作。
東北の牧場で起きた殺人事件と、最強馬の名声をほしいままにしたサラブレッドの血統に隠された秘密を結びつけるものは何か。
それが、本書の最大の読みどころ。

牧場で殺された競馬評論家の妻、香苗と、その友人で、競馬誌の記者をしている芙美子の探偵コンビが、事件の真相を追っていく。
この二人、ボケとツッコミの漫才コンビのようで、いい味を出しているのが、もう一つの本書の醍醐味である。


競馬界の内幕を背景にはしているが、社会派ミステリー的な重苦しさはない。
肩の力を抜いて読める。
サラブレッドの血統にまつわる謎解きの工夫や、殺人事件を起こした犯人の動機なども、よく考えられていて、違和感はなかった。
読み終えれば、何故この題名にしたかも納得できる。
余韻は残らないけど、後味も悪くない。
乱歩賞作品は、小説としてはともかく、ミステリーとして見た場合、首を捻るものも多いが、その点でも、良質のミステリーに仕上がっていると思う。


それと、ふと思ったのだが、人気ミステリー作家、雫井脩介のデビュー作『栄光一途』は、『焦茶色のバステル』と、同質の雰囲気が漂っている。
もしかしたら、雫井は、岡嶋二人のファンだったのかもしれないな。


切れ味: 可


お勧めの関連書籍

岡嶋 二人

あした天気にしておくれ


塩野七生 『ローマ人の物語XIII 最後の努力』

著者: 塩野 七生
タイトル: 最後の努力

塩野七生は、本書の巻末で、ある研究者の言葉を引用している。


――これほどまでして、ローマ帝国は生き延びねばならなかったのであろうか



ローマ帝国が、この巻で取り上げられた時代以降、坂道を転がるようにして、滅亡へと走っていくことを考えれば、タイトル名は、「最後の努力」よりも、むしろ「最後の悪あがき」としたほうがよかったかもしれない。


この巻に登場する二人の皇帝、ディオクレティアヌスとコンスタンティヌスは、ともに強力なリーダーシップを発揮して、内政、軍事、通貨、税制、宗教改革を断行する。
この諸改革によって、荒廃していたローマ帝国は再生したかに見えた。
しかし、当人たちの意図に反して、後に、その諸改革の結果は裏目に出て、かえってローマ帝国の衰亡を深めることになった。


塩野は、動機と、それがもたらす結果が異なってしまう歴史の皮肉を語るに、ユリウス・カエサルの言葉を引用している。


――いかに悪い結果につながったとされる事例でも、それがはじめられた当時にまで遡れば、善き意志から発していたのであった


一年に一冊のペースで上梓して十三年。
書く方も、読む方も根気がいります。
そして、ローマ帝国の衰退にシンクロするかのように、塩野女史の筆にも、以前の冴えが感じられません。
飛ぶ鳥落とす勢いだった「ハンニバル戦記」や「ユリウス・カエサル」の頃が懐かしい。



切れ味: 可



お勧めの関連書籍

エドワード ギボン, Edward Gibbon, 吉村 忠典, 後藤 篤子

図説 ローマ帝国衰亡史

高坂 正尭
文明が衰亡するとき

斎藤貴男 『カルト資本主義』

著者: 斎藤 貴男
タイトル: カルト資本主義

書店のビジネス書コーナーを覗くと、およそ二つの潮流があるようだ。
一つは、ベンチャー起業・独立開業に関する本が多くなっていること。
もう一つは、これはバブル崩壊後、ずっと続いている傾向だが、経済論、経営論を装いつつ、中身は、怪しげな宗教書に近いトンデモ本とでもいうべきものだ。
有名な著者としては、船井幸雄、浅井隆、増田俊男、副島隆彦らが挙げられるのではないだろうか。


本書の著者、斎藤貴男は、冒頭で、これらの本の基調には共通する思想があると書いている。それは――。


①我々は、生きているのではなく、生かされている存在である。
②世の中で起こることの全ては、必要、必然、ベストである。
③思ったことは全て実現する。
④近い将来、この世界は崩壊する。しかし、選ばれた人々だけは、生き延び、新しい理想世界を築き上げるであろう。
というものだ。


先進国では、社会が閉塞状況に陥ると、終末思想やオカルティズムが流行するようだ。
ただ、欧米とは異なる会社中心主義の社会である日本では、その流行の顕れ方も、ある特殊性を帯びるらしい。
その日本独自の体系を、斎藤は、「カルト資本主義」と名づけている。
欧米流の合理的なビジネス思考の必要性が叫ばれる一方で、非合理な神秘主義が、日本の企業社会の土壌には、びっしりと根を張っている。


本書は、そんなオカルティズムが支配する日本の企業社会と、その先導役を務めるグルともいうべき人物たちを取材した労作である。

本書に列挙されている、カルト資本主義に共通する特徴をいくつか拾ってみると――。


無為自然、ポジティブ・シンキングなど、個々人の生活信条に属する考え方が、普遍的な真理として扱われる。
情緒的、感覚的であり、論理的、合理的でない。
西洋近代文明を否定する態度を示し、そのアンチテーゼとしてのエコロジーを主張する。
オカルト的な神秘主義を基本的な価値観とする。
バブル崩壊後、急速に台頭してきた。
ナチズムにも酷似した、優生学的な思想傾向が見られる。
民族主義的である。
経営者、官僚、保守党政治家などの指導者層に属する人々が、中心的役割を担っている。

等々である。


本書の中で、特に興味を惹かれた人物が二人いる。いずれも、この「カルト資本主義」のグルともいえる大物だ。
一人は、中小企業の経営者、管理職たちから、絶大な支持を受けている京セラの創業者、稲盛和夫。
いま一人は、もっと広範な大衆層にまで人気が浸透している船井総合研究所の創業者、船井幸雄である。


斎藤は、稲盛和夫の主張する哲学を、どこまでも人間を企業に縛りつけ、奉仕させるために内面から縛り、究極の奴隷とする呪術的便法にすぎないと喝破する。
バブル崩壊と、それに続く大競争時代への突入で、日本的経営の根幹であった終身雇用や年功序列は、もはや維持できなくなっている。
しかし、大競争時代に生き残るためには、これまで以上に生産性を高めたい。
そのためには、見返りを求めない従業員の忠誠心を涵養したい。
何もかも肯定する生き方こそ人生の真理だと説く思想は、その最高の方法論になり得ると、稲盛は確信しているのではないか。
だからこそ、経営者たちは、稲盛哲学とやらを、手放しで支持するのだとも。


船井幸雄の場合、持論を語るだけでなく、さまざまな珍奇なアイデアや商品、人物をプロデュースして、ヒットする術にも長けている。
例えば、『脳内革命』がベストセラーになった春山茂雄、『超右脳革命』の七田眞、日本アムウェイの中島薫など、枚挙に暇がない。
中には、マルチ商法、霊感商法と見紛うものも少なくないという。
それらも「本物」と推奨して、講演会や書籍などを通じて、紹介する。
確信犯的な商法ともいえる。


こうしたカルト的な考え方が横行する背景には、従来のように、会社に人生を託すことが望めない、現在のサラリーマンには、「目先の我執を捨て」「何事も前向きに」「すべて物事は必要、必然、ベスト」と自己暗示をかけ、自らの不安を慰めるという諦念があるようだ。


世は、起業ブームに沸き立っているが、ほとんどの人は、雇われる側の立場にいる。
一方では、欧米流の成果主義と自己責任を押し付けられ、他方では、経営者には、『望ましいマインド・コントロール」によって、従業員の脳細胞が侵食される危険が待ち受けている。
サラリーマン受難の時代は、まだまだ続くようだ。


切れ味: 可


お勧めの関連書籍

斎藤 貴男

機会不平等

 磯田道史 『武士の家計簿』

著者: 磯田 道史
タイトル: 武士の家計簿 ―「加賀藩御算用者」の幕末維新

タイトル通りの本です。
武士が、世間体を保つために、これほど出費がかかったとは、驚きです。
武ととして世間を渡るには、忠誠心よりも、まずは金。
武士の面子も金次第。
とにかく、武士を生きるには、万事お金がかかったのです。
でもって、白昼、下手に刃傷沙汰を起こせば、喧嘩両成敗で、お家断絶。
しかも、武士は、農民や商人、職人と違って、何ら生産には貢献しないパラサイト。
戦のない泰平の世では、アイデンティティを保つのも難しい。
案外、武士が滅んで、一番喜んでいたのは、彼ら自身だったのかも。


なお、本書の後半で、武士階級だったある一族の、維新後に辿った変遷について言及している。
ある者は、維新後、官や民に転じて、繁栄を謳歌した。
しかし、別のある者は、時代の流れについていけずに、没落していった。
糊口を凌ぐため、馴れない商売に手を染めて、「武士の商法」と冷笑されながら。
その明暗の差が、露骨なまでに分かれている。
世の変転は無常です。


切れ味: 可


お勧めの関連書籍

神坂 次郎

元禄御畳奉行の日記